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飯能 エステプライベートサロン Floral Essence フェィシャル ブライダル ボディまつ毛パーマ


  Floral Essence
 042-974-5353
 Mail salon@floral-essence.com

埼玉県 飯能市 川寺・入間二木線沿い 

西武池袋線 飯能 隠れ家的なエステサロン〜入間 狭山 日高 青梅

Profile プロフィール2

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長文になります。ご興味を持ってくださった方はお進みください。


エステティシャンになったのは・・・

幼少の頃から綺麗な人、綺麗なものへの憧れがあり、母親やお友達のお母さんのおしゃれな洋服や髪型、恰好を見ると気分が上がったのを覚えています。母や祖母のドレッサーの前に並べられている化粧品のよい香りが好きで、たまに使ってみたりしていました。だから、今も化粧品に囲まれてお仕事が出来ることが嬉しくて心地よいです。

コンプレックスが今も役立つている

小学生高学年頃は「涙袋」が人より大きいのが気になって(今ではわざわざメイクで作るというので驚きです。)しわになりそうとか、くまが出来てるとか気にしていました。商売をしていた両親の影響からか、大人になったら結婚して専業主婦になる考えは全くなく、会社員のような仕事にも興味がなく、女性でも評価されることがしたいなぁと漠然と思っていました。
学校を卒業する頃、バブル期で世の中が活気付いていました。

具体的に職業が決められず、大手の信販会社に一年勤めました。営業の方のサポートやクレジットの手続きなどの事務作業を指導されながら、社会人のルールを学びました。
ここでの経験はエステティシャンになってからも最低限必要なことばかりだったので、その時の上司には今でも感謝しています。クレジットの計算はエステサロンでの契約の際に役立ちました。デスクワークで黙々と書類を片付ける作業にあまりやりがいを感じられず、いつか抜け出したいと思いつつの日々でした。


エステティックとの出会い

写真の説明を記入します ある知人が「美容に興味があるならここ受けてみたら?」とエステサロンのパンフレットを取り寄せてくれました開いてみると、今、自分が毎日通っている会社とは全然違う世界が広がっていました。夢があるなぁ!と感じ、会社の指針に「愛といたわりの精神」というフレーズが書かれていてこういう気持ちで仕事できるんだ!と新鮮な気持ちになりました。
「静かに、真面目に、正確に、忠実に」の前に求められることがこれなら、やってみたい!と思ったのです。
当時、大手エステサロンも全国に店舗が増え始めていました。業界トップがテレビCMを始めていて、「エステ行ってみたい」という女性が急激に増えていた頃です。

採用試験が無事に通り、入社。同級生の友達は平日は会社帰りに食事に行ったり、習い事などアフターファイブを満喫、週末は旅行や海やスキー、長期休暇は海外旅行などバブル期の影響で若いうちから遊びや経験をしていました。
私は、入社後、会社の学校で猛勉強をしていました。その頃はまだエステの専門学校のような所はほとんどなく、大手サロンの自社で学校のような教育機関を持っているところは珍しく先駆けだったと思います。皮膚科学、理論、などの科目がたくさんあり、テストが一日置きにありました。赤点を3回とるとクビといわれていたので、必死です。帰りの電車の終点では寝ているところを駅員さんに起こされるということもしばしば。実技はこれがまた試練の連続で・・・。

あきらめるわけにはいかない!

美顔、痩身、脱毛を相いモデルを組んでひたすら訓練。顔の肌は丈夫なので助かりました。痩身はマッサージの施術はくすぐったくて必死でこらえてました。脱毛は当時、光脱毛ではなく、美容電気脱毛なので高度な技術を習得しないとできない上、かなりの痛みがあるので、モデル側になった時は泣いていました。
私は何をしても平均くらいで、人より飛び抜けた能力はなく、勉強がすごく出来る人、スポーツが万能の人、絵や字が上手な人など何か持っている人にずっと憧れを持っていました。エステティシャン修行もなんとかついていっている感じ。
同期生の中には、トントン拍子で身についたり、接客の練習でも、てきぱきこなしスムーズな合格をもらっている人もいて・・。ただ、出来るのに、「こんなに大変だとは。。」とやめて行く人もいました。私は、自分はそもそも平均な人の自覚人生だったので出来ないからやめる”はなく、これを身に着けたら、「ある人には出来ないことが出来る人」になれる。それでお金も稼げるなんていいじゃないの!と思ってやるべきことを続けました。

いつか一人前になりたいと。。30年経った今も、決して満点はなく、エステティシャンは永遠に学びありだなぁと日々感じます。


業界技術ナンバーワンのエステサロン

お客様に入れるようになったスタッフは皆、当たり前のことですが技術が上手です。定期的に練習会をしたり、レベルアップ試験を受けたりもします。何より、「お客様に喜ばれるような仕事をしたい」人の集まりでした。技術は「上手な人から教わるから上手になる」「教えるのが上手なった人が教えるから上手に教えられる」のです。その連鎖が技術ナンバーワンの理由だと思います。

2年半経った頃、幹部候補になりました。技術が好きだから技術だけしていたいけど、広く学びたいと思ったからです。
技術はある程度学んだら経験を積み、そこからはゆるやかな成長にります。お客様に満足していただけるサロンというのは、技術が上手なだけでは叶わないと感じたからです。
店長が不在の日は、あってはならないのですが、お客様のご案内が遅れたり、ロッカーが足りなくなる、ガウンが足りなくなる、あちこちで予約に遅れが出たり、ちょっとしたアクシデントに誰も対応できない、休憩時間の計画が上手く出来ず、夜まで誰もお昼ごはんを食べられない。みんな一生懸命やっているのに。。私は知らないことが多すぎる。これからもエステティシャンを続けていくなら「全部出来るようになりたい」幸せなことに、その時の上司が特別優秀でもない私を引っ張り、育ててくれて、隣のサロンに異動して店長になりました。


23歳で店長になる

自分より入社や年齢が上のスタッフがいても店長。年功序列でなく、努力、がんばりを評価してくれる会社”本当にそうでした。「まだ私には早いです。無理です。」というと上司は、「大事なお店を出来ない人には預けられません。出来るから任せるのです。役職が先についてもこれからそうなればいいんです。」その言に葉はずっと支えられています。サロンの業績もあげていたのに数か月後、突然、山梨に転勤となりました。
会社の辞令なので断るなどできません。一人で暮らしたことはなかった私は、泣きながら支度をして転勤先に向いました。


人やサロンが育っていくことを知る経験をする

配属されたサロンは駅前にあり、県庁所在地ということもあって想像していたより活気のある雰囲気でした。住むところもサロンから徒歩で通えるところを用意してもらえたので通勤が楽になり、スタッフも素直で仕事を一緒にしやすい人達で、生活はすぐに慣れました。
でも・・予約はガラガラで稼働していないベットがある。電話も鳴らない、スタッフは知らないことが多すぎる。予約も中々とれないサロンにいた私は、そのギャップに驚きました。
時間はあるので、会員のお客様に自分のご挨拶兼ねて、カウンセリングをしていきました。「やせたいんです。」とか、「農作業で日焼けするんです」とか、他にはない、とても頼ってくださっている感じがしました。県内には1つしかサロンがないので車で1時間以上かけて高速道路を使い通ってくださったり、お土地柄なのか、エステサロンは、まだまだ特別な所という感じや、”女性の美しくなりたいという夢や希望を託す場所”が限られているとも感じました。
そんな中なら、スタッフの経験値が少ないのは仕方がないこと。自分が新人の頃、習ったこと、その後もサロンでしていたことを、スタッフ改めて一からしていきました。
お客様へは、お一人お一人に合ったコースのご提案、ご自宅でしていただくべきことの指導。一緒に頑張りましょうという心のサポート。スタッフ全員が、施術、接客、全て同じことが同じレベルで出来るように目指しました。

私も店長業務ばかりにつくことなく、もともと技術が好きなので、スタッフと同じ施術、仕事をしていきました。そうなると、必然的にカード決済が出来ないから、○○が出来ないからと私を呼びにくることが出来ないので、皆、どんどん仕事を覚えてくれました。1.2ヶ月経つと、予約が埋まっていき、それにともなってお客様の結果がでてきました。「○○キロやせた!」「もっと綺麗になりたいから、お顔のコースを始めたい」「体を出せるようになったから脱毛がしたい」お任せいただけることが増え、業績もどんどん上がっていききました。


異動した月に全国1位の業績

写真の説明を記入します そんな経験をしたことがない、スタッフ達は驚きすぎて、実感出来ていない様でした。私が異動してきたことで、サロンは忙しくなって、サロン業務のルーズになっていたルールを明確にし、守ることを徹底するようにしたので、お給料が変わらないのに、以前より仕事が増え、帰宅時間遅くなったけど、不平不満をいうスタッフが一人もいませんでした。
それどころか数人が、店長補佐を目指すとまでいってくれて、さらにどんどん仕事を覚えていきました。サロンが急に忙しくなったので、お客様はご予約が取りづらくなりましたが、そのことでクレームをいただくこともなく、サロンでの時間をますます貴重にしてくださるようになりました。1回のエステで最大限の効果を出せるようにご自宅でのケア、キャンセル、予約を変更をされると次が先になってしまうのでその辺も協力してくれました。目で見えるものではないけど、綺麗になりたい人と綺麗にさせたい私達の一体感があるような、よい空気が出来上がっていたように思います。


地元のスタッフに任せる

一年後、埼玉に異動になりました。人生で最も充実した期間、経験でした。それからは所沢、大宮、池袋、大阪・天王寺・堺、高田馬場、新宿、中野、川越、志木と異動しました。

色んな環境、職種のお客様に接することで、お肌のお悩み、疲れ方の違いに気付かされエステティックの役割は広いと感じました。お会いしたお客様に「綺麗にします」とお約束しても、その方の目標達成の最後まで見届けることも、ご挨拶も出来ないまま、異動となります。大手サロンではその会社として綺麗にしますを約束しているのでそのようなものなのだけど、ずっと見届けたい、フェイシャルは決まった期間というよりエンドレスな目標です。そう思うようになってきました。

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住所 埼玉県 飯能市 川寺
TEL
042-974-5353
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