業界技術ナンバーワンのエステサロンで働くということ
お客様に入れるようになったスタッフは皆、当たり前のことですが技術が上手です。定期的に練習会をしたり、レベルアップ試験を受けたりもします。何より、「お客様に喜ばれるような仕事をしたい」人の集まりでした。技術は「上手な人から教わるから上手になる」「教えるのが上手なった人が教えるから上手に教えられる」のです。その連鎖が技術ナンバーワンサロンがその位置であり続けている理由だと思います。
2年半経った頃、幹部候補になりました。技術が好きだから、技術だけしていたいけど、広く学びたいと思ったからです。
技術はある程度学んだら経験を積み、そこからはゆるやかな成長にります。お客様に満足していただけるサロンというのは、技術が上手なだけでは叶わないと気が付き始めたからです。仕事の視野が広がってきたのです。
店長が不在の日は、あってはならないのですが、お客様のご案内が遅れたり、ロッカーが足りなくなる、ガウンが足りなくなる、あちこちで予約に遅れが出たり、ちょっとしたアクシデントに誰も対応できない、休憩時間の計画が上手く出来ず、夜まで誰もお昼ごはんを食べられない。みんな一生懸命やっているのに。。私はまだまだ知らないことが多すぎるし、出来ないことが多すぎる。これからもエステティシャンを続けていくなら「全部出来るようになりたい」幸せなことに、その時の上司が特別優秀でもない私を引っ張り、育て推薦してくださり、数ヶ月月後に、隣のサロンに異動して店長になりました。
23歳で店長になる
自分より入社や年齢が上のスタッフがいても店長。〝年功序列でなく、努力、がんばりを評価してくれる会社”本当にそうでした。「まだ私には早いです。無理です。」というと上司は、「大事なお店を出来ない人には預けられません。出来るから任せるのです。役職が先についてもこれからそうなればいいんです。」その言に葉はずっと支えられました。そしてサロンの業績もしっかりとあげていたのに数ヵ月後、山梨に転勤となりました。
会社の辞令なので断るなどできません。一人で暮らしたことはなかった私は、泣きながら支度をして転勤先に向いました。世間一般で聞いたことがある"左遷?”という言葉が、当時は頭に浮かびましたが、この会社はそのような扱いの転勤はしないと、わりとすぐ分かりました。そんなことしたら、人材も失い、サロンも閉店に陥るからです。ちょっと遠方の大変なサロンに行って、またさらに大きくなって帰ってくる先輩店長の光景もモチベーションになりました。
人やサロンが育っていくことを知る経験をする
配属されたサロンは駅前にあり、県庁所在地ということもあって想像していたより活気のある雰囲気でした。住むところもサロンから徒歩で通えるところを用意してもらえたので通勤が楽になり、スタッフもすぐに受け入れてくれて、すぐに慣れました。
でも・・予約はガラガラで稼働していないベットがある。電話も鳴らない、スタッフは知らないことが多すぎる。そこに危機感を全く感じる様子もなく、予約も中々とれないサロンにいた私は、そのギャップに驚きました。
時間はたっぷりあるので、会員のお客様全員に自分のご挨拶兼ねて、カウンセリング(今のお肌、お体のお悩み、サロンへのご要望などの再確認で伺うことです。)をしていきました。「やせたいんです。」とか、「農作業で日焼けするんです」とか、心を開いてとても頼ってくださっている感じがしました。これこそエステティックで大切なこと。県内唯一のサロンなので、車で1時間以上かかったり、高速道路を使い通ってくださったり、お土地柄なのか、エステティックサロンは、まだまだ特別な所と思われているいう感じもしました。本来の”女性の美しくなりたい“気持ちを引き出すことが仕事であり、それを求めてサロンに通ってくださっているのだから、スタッフ側とお客様もサロンごと全てを底上げしていこう!という気迫が沸いてきました。
そんな中なら、スタッフの経験値が少ないのは仕方がないこと。自分が新人の頃、習ったこと、その後もサロンでしていたことを、改めて一からしていきました。
お客様へは、お一人お一人に合ったコースのご提案、ご自宅でしていただくべきことのアドバイス。一緒に頑張りましょうという心のサポート。スタッフ全員が、施術、接客、全て同じことが同じレベルで出来るように目指しました。
もともと技術が好きなので、フロントにいるだけにとどまらず、同じ施術、仕事をしていきました。そうなると、必然的にカード決済が出来ないから、○○が出来ないかといって施術中の私には頼めないので、皆、どんどん仕事を覚えてくれました。1.2ヶ月経つと、予約が埋まっていき、それにともなってお客様の結果がでてきました。「○○キロやせた!」「もっと綺麗になりたいから、お顔のコースを始めたい」「体を出せるようになったから脱毛がしたい」お任せいただけることが増え、業績もどんどん上がっていききました。
異動した月に全国1位の業績
そんな経験をしたことがない、スタッフ達は驚きすぎて、実感出来ていない様でした。私が異動してきたことで、サロンは忙しくなって、サロン業務のルーズになっていたルールを明確にし、守ることを徹底するようにしたので、お給料が変わらないのに、以前より仕事が増え、帰宅時間遅くなったけど、不平不満をいうスタッフが一人もいませんでした。
それどころか数人が、私も主任、店長を目指すとまでいってくれて、さらにどんどん仕事を覚えていきました。サロンが急に忙しくなったので、お客様はご予約が取りづらくなりましたが、そのことでクレームをいただくこともなく、サロンでの時間をますます貴重にしてくださるようになりました。1回のエステで最大限の効果を出せるようにご自宅でのケア、キャンセル、予約を変更をされると次が先になってしまうので、1つのご予約を毎回大切にしてくれました。目で見えるものではないけど、綺麗になりたい人と綺麗にさせたい私達の一体感があるような、よい空気が出来上がっていたように思います。一年後、地元スタッフが成長したので、埼玉に帰れることになりました。人生で最も充実した期間、経験でした。
東京・埼玉へ帰る
一年後、人も育ち、サロンも安定したので埼玉に帰れることになりました。人生で最も充実した期間、経験でした。それからは所沢、大宮、池袋、大阪・天王寺・堺、高田馬場、新宿、中野、川越、志木とお店を異動しました。新宿サロンの時写真一緒に撮ってください♡と言ってくださった方。嬉しかったなぁ・・・。
様々な土地、環境、職種のお客様に接することで、お肌のお悩み、疲れ方の違いに気付かされエステティックの役割は広いと感じました。お会いしたお客様に「綺麗にします」とお約束しても、その方の目標達成の最後まで見届けることも、ご挨拶も出来ないまま、異動となります。大手サロンではその会社として綺麗にしますを約束しているのでそのようなものなのだけど、「本当はずっと見届けたい、フェイシャルは、ボディのように○キロ痩せるまで、脱毛のように毛がなくなるまでという決まった期間ではなく、今も未来もずっと綺麗でいたいたいエンドレスな目標のはず。」そう思うようになりました。
卒業して次の夢に
そのようなことから、8年間育ててもらった大手サロンを卒業しました。
新しい道
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独立開業10年の時
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いつまでも
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これからも
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